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嚴島神社の建造物群は以下に述べるように、あるひとつの明確な理念の下に、調和と統一をもって建造され、配置された社殿群、及びその周囲に歴史的に形成された建造物からなる。
厳島は、古来よりその周辺の沿岸島しょ部の住民が瀰山を主峰とする連山の山容に神霊を感じ、これを畏敬していた神の島であった。人々はここに宿る神を厳島神として崇め、長い間、神の土地である島を避けて、海を隔てた対岸から遥拝していたとされる。
そののち、いつの頃からか島の水際にも礼拝施設のような建築が建てられはじめ、神社の社殿建築として発展してきたものであろう。先に述べた平清盛の後援による佐伯景弘の造営は、こうした原初的な形態にあった社殿を整理し、都風の壮麗な社殿建築群をこの地に現出させようとするものであった。
北向きの本社の社殿群と西向きの摂社客神社の社殿群が海上をわたる廻廊で結ばれる構えは、平安時代の支配階級の住宅様式である寝殿造の影響を受けたものである。各社殿の細部様式や、檜皮葺のゆるやかな屋根の曲線に平安時代の寝殿造の気分が色濃く残っている。
これは、度重なる火災や災害後の再興に当たって、嚴島神社が前代の社殿の様式や構成をよく受け継いできたことの証である。
嚴島神社の社殿群は、神の山である瀰山の深々とした緑に覆われた山容を背景として、海上に鮮やかな朱塗りの宗教建築群を展開するという、他に類を見ない大きな構想の下に独特の景観を創り出している。
古くは対岸から遥拝することによって、瀰山を中核とする島全体を神聖視していたのであるが、やがて島の水際に社殿が成立し、社殿群の正面景観が強調されるのにともなって、瀰山を含めた背後の山腹が社殿群の背景的効果をもつ自然景観としてことさら重要視されるようになった。こうして社殿群の前面に展開する大鳥居までの海域と、背後の瀰山に向かって屏風のように連続する山嶺とが、社殿をとりまく一体的な自然環境として認識されるようになった。
どっしりとした山塊の前面に軽やかに伸び伸びと広がる社殿群を配置し、これに、太陽の光線の具合で表情を千変万化させる海面の効果をつけ加えた構成は見事であり、色彩と質感の対比も効果をあげている。潮の干満に従って刻々と表情をかえてゆく社殿群の有り様は、さながら一幅の名画を見るようである。
こうした景勝地としての価値は早く18世紀の初頭には民衆の間に認められるに至り、日本三景のひとつ「安芸の宮島」として全国に喧伝され、ここを訪れる人々にめでられた。
嚴島神社も他の多くの神社と同じように、平安時代以来、神道と仏教の思想が接触・融合した神仏習合の時代が続いたので、厳島の内にも多くの仏教建築が建設された。それらの多くは明治維新後の廃仏棄釈運動により破壊された。神社の社殿の他、かろうじて廃仏棄釈運動の波をかいくぐって現在まで保存されてきた、中世以降に周辺の丘陵上に建設された仏教建築も嚴島神社の歴史にとって欠くことのできない重要な建築物である。
出典/日本国政府, 文化庁, 環境庁 1995 世界遺産一覧表記載推薦書・協力/厳島神社